何が問題なのかを当事者が意識する【特別対談】翻訳業界と品質管理⑥
<目次>
改善の基本原理と改善マインド
川村 年に一度の改善事例発表会ですが、毎年先生にも評価をしていただいていますが、ここ数年すごく評価がしにくくなっています。要するに本当に数字で計測できているのかが怪しくなってきたので、再度基本に戻って、改善の基本原理を先生に教えていただきました。
改善における基本原理
- 発見されない問題は、解決できない
- 意思を持たないと、問題は解決できない
- 問題の所有者でないと、解決できない
- 誤った問題の定義は、解決を遅らせる
- 計測できない問題は、改善できない
吉澤 結局、短期的に考えれば、何もしないのが一番コストは安いですよね。ただ、作業者にとっては不良品を出荷しても、出荷した本人は意外に痛くもかゆくもないわけですよ。痛みを味わうのは結局お客さんのところで生じるわけです。それが品質問題として出てくるわけです。
翻訳の場合は、結果的にはフィードバックとして来るわけですよね。結局、その品質問題をだしたのは、不良をだした作業に戻ってくる。信用は落ち、再購買にはいたらなくなる。長期的にみれば、職を失うことになります。それも競争相手との関係できまります。
だからどうしても、お客様が困っているかどうかをやっぱりチェックし正常に直さなければなりません。そこにはチェックする行為と、直す行為が出てきます。でも、直す行為は当事者じゃないとだめですよね、
モノをつくってくるところでは、その多くは機械が作ってますから機械の条件にフィードバックしていけばいいんでしょうけども、自動制御の場合は、機械自ら修正しますが、その自動制御の不具合や、その機械の担当者に責任があるわけですから、問題の所有者である担当者が行動を起こさないと管理や改善ができないのです。
特に翻訳の場合は人が介在していますから、翻訳者自身にフィードバックをしないと、問題の再発を起こし続けます。そういう意味で問題の所有者が自覚することが重要となります。
その人が指示命令で本当に動くのかどうかはちょっと機械と違って単純じゃないんですよね。
川村 そうですね。
吉澤 その人が本当に直さなきゃいかんと意思を持つような動機づけが非常に重要になってくると思います。
動機づけでは、給料であったり、待遇を良くしたり、叱るという行為であったり、躾の問題みたいなものでフィードバックしてきたんでしょうけども、翻訳の業務は一種の知識が要求される専門業務ですし、プロフェッショナルな業務ですから、そういうプロとしての自覚にどうフィードバックしていくかというところが、重要なんじゃないかなと思うんですね。
川村 そうですね。やはり当事者じゃないと問題が解決できないということは、当事者のものの考え方がものすごく大事だという意味だと思っています。
何が問題なのかを当事者が意識しないと、問題の発見もできないです。そういうとこで人が本当に絡んでいる。人が本当にやらなきゃいけない仕事があるとして、それについての教育の仕方ですね。それが非常に難しい。
吉澤 そうですよね。そうなると働く意義まで戻ってしまします。通常、皆さんは会社に所属していますから、会社自身の存在意義に賛同していると受け取れます。それは企業の理念とかミッションとか、ビジョンで決められていることですね。
企業はそのミッションや理念を達成するための共同体として存在していますから、すくなくともそれらを良く理解しておく必要があると考えています。
まったくの労働だけを売るという考えの人は、今は少ないと思いますし、翻訳というプロ集団としては、そこに何らかの価値を見出していることが重要と考えています。しかし、全員がそうかどうか、組織が大きくなると、ミッションや理念が他人事になっていることを経験します。
そうすると、そういうことをいつもきちっと理解してその理念やミッションを追求することが社会的な価値創造なんだという、働いている人が価値を共有化していないと、どこか柔軟な構造が緩んでばらばらになってしまいます。ある程度の緩み、遊びがないと面白さはでてきません。逆にガチガチに固定されてしまうと世の中が変わってきたら耐えられなくなってしまうということです。
翻訳というサービスの中身の管理や改善は、それに携わる人たちが自己学習をしながら、より高い価値を創造していくという自走組織を作っていく必要があると思います。これは、全員の持ち場で行っていく必要があります。高い次元での問題意識と当事者という自覚が必要と考えております。
川村 そうですね。
吉澤 その中で、維持管理だけをしていると、固定化した組織になってしまうので、やっぱり機械と同じように、劣化してしまうということになります。管理は一種のルーチンとなりますから、人の場合、飽きてくるのです。
しかし、当たり前のことを当たり前に実行することは、人間の自由さに背向く行為であり、退屈な仕事にはなります。このような維持管理の仕事を機械化することになりますが、管理をしなくても良い組織づくりにする方が、もっと重要です。
組織の中で個々が学習しながら、そして自分たちのつながりについてお互いにポジティブなフィードバックをしながら、組織としての活性化を保てるような環境をどういうふうに作っていくかということが、品質経営には大事じゃないかと思います。
川村 先生に講義していただいたときに、すごく印象的だったのが、改善というのはすごく大変なことで、改善をしようとそれぞれが努力をしていても、改善の方向が違ったりして、さまざまなことが起きてくる。その時の改善の努力をしている人に対する先生のコメントが、勇気づけるものだったのを覚えています。
吉澤 もともと、不具合があることは、損失でありお客さまが困っていることです。また、当事者としては気まずいことです。管理あるいは管理されるより改善は、楽しいことです。ただ、問題を問題として認めることは、結構当事者はつらいことです。
しかし、問題を少し客観化し、理想と現実のギャップととらえるなら、そこには宝の山が見えてくると、以前品質管理の先生から教えてもらったことがあります。たしかに、そうです。
皆さん方は、何も意図的に不良をつくるように作業をしているわけでないし、ベストをつくして行っているという現実を認めることから改善を始める必要があります。
一旦改善ができるように改善力をつければ、善循環が回りはじめます。そのための学習の機会と時間を確保できるかが、マネジメントとして重要になります。改善の面白さと、楽な方へ流れる方向は、逆となります。楽の延長上には、本当の面白さはないのではないかと考えます。
このように理解すれば、品質問題はお客さんが困ることですから、それが困らなくて済むということは、提供者としては一番重要なことだし、よかったということで喜んでもらえるんだったら、それに対して積極的になっていくんじゃないかなと。まあ嫌という人はいないんじゃないでしょうか。
川村 そうですね。改善にするためには、データをとらなければ改善できない。継続できなければ改善できない。そういうことに対する意味や重要さを常に教えて、話し続けていかなければ、あるところで楽な方に流れてしまうと思っています。