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翻訳にゆかりのある偉人~ジョン万次郎~

日本における翻訳の歴史といえば、その始まりは紀元3世紀であると言われています。中国大陸から伝わった書物を読むために中国語から日本語への翻訳が行われました。

時を経て、現代の日本で行われている翻訳で最も分量が多いのは英語の翻訳(日英翻訳または英日翻訳)となっていますが、日本で最初に英語の翻訳をした人物は誰でしょうか。諸説あるようですが、最初の英語翻訳者は、江戸時代初期を生きたイギリス人、三浦按針ことウィリアム・アダムス(1564~1620年)であると言われています。

その後、今日に至るまで、翻訳にゆかりのある偉人は数多くいますが、本記事では、筆者の住む高知県の偉人、ジョン万次郎こと中浜万次郎(1827~1898年)について取り上げたいと思います。アメリカ大陸に上陸した最初の日本人(First Japanese)とも言われる万次郎の数奇な人生を見ていきましょう。

目次[非表示]

  1. 1.漁の最中に遭難!万次郎はアメリカへ
  2. 2.アメリカでの青年時代
  3. 3.11年ぶりの帰郷
  4. 4.帰国後の大活躍
  5. 5.その後の万次郎
  6. 6.後世での評価
  7. 7.高知を旅するなら
  8. 8.参考文献
  9. 9.川村インターナショナルのサービス

漁の最中に遭難!万次郎はアメリカへ

万次郎が生まれたのは土佐藩の西南端、現在の土佐清水市。太平洋に突き出している足摺半島(その先端にあるのが有名な足摺岬です)の西側にあった中ノ浜村が万次郎の故郷です。貧しい漁師の次男だった彼は、幼い頃から働いて家計を支えていたため寺子屋に通えず、少年時代は読み書きができなかったそうです。



1841年―14歳になったばかりの万次郎は、足摺岬沖で漁をするために4人の仲間とともに出港しましたが、操業地で船が突然の強風に煽られて遭難。そのまま数日間を漂流することになります。流れ着いたのは小笠原諸島の無人島。万次郎たちはそこでわずかな食糧を分け合いながら過ごしました。

無人島に漂着して4カ月以上(!)が過ぎた頃、アメリカの捕鯨船(ジョン・ハウランド号)が通りがかり、一行はようやく救出されました。しかし当時の日本は鎖国中。アメリカの船に乗った万次郎たちは日本に戻る術がなくなってしまい、捕鯨船とともにアメリカに向かうことになりました。

万次郎以外の4人は途中で寄港したハワイで下船しましたが、万次郎は捕鯨船員として船に残り、アメリカ本土を目指しました。この頃、船名にちなんで「ジョン・マン(John Mung)」という愛称で呼ばれるようになりました。


アメリカでの青年時代

捕鯨船は2年後にアメリカに帰国し、万次郎は日本人として初めてアメリカ本土に上陸することになります。学校に通い始めた彼は、英語の読み書きに始まり、数学や航海術、造船など様々な学問を吸収していきました。万次郎はアメリカの最初の日本人留学生でもあったわけです。たいへん熱心で、主席になったこともあった彼は、卒業後はいくつかの職に就きつつ、1846年からは再び捕鯨船に乗って世界中を航海しました。一等航海士となり、捕鯨船の副船長を務めた時期もあったそうです。

故郷の母を心配して日本への帰国を希望していた万次郎は、ゴールドラッシュの真っ只中にあったカリフォルニアで金を採掘する仕事に就いて資金を調達し、ハワイに渡って、かつて共に漂流した漁師仲間とともに日本を目指しました。う~ん、逞しい…。


11年ぶりの帰郷

上海行きの船に乗り込み、途中で下船して琉球(現在の沖縄県)に入った万次郎たち。1851年のことでした。当時の琉球は薩摩藩(現在の鹿児島県)に服属していたため、一行はほどなくして薩摩藩に送致されます。日本は引き続き鎖国中だったため、薩摩藩でも取り調べを受けた万次郎たちですが―時は幕末。開明派の藩主・島津斉彬は一行を厚遇し、万次郎の指導のもとで新しい帆船を造ったりしました。

万次郎たちはその後、長崎に送致されてさらに取り調べを受け、1852年、ついに故郷・土佐に戻ることができました。遭難した日から実に11年が経っていました。当時の土佐藩の藩主・山内豊信(容堂)も万次郎の話を興味深く聞き、万次郎は下級武士として取り上げられ、佩刀も許されたそうです。


<足摺岬にある無料の足湯施設。太平洋を一望できます>

日本語が覚束なかった万次郎たちの聞き取りに当たったのは、オランダ語の知識があった画家の河田小龍でした。その内容は「漂巽紀略」として残されています。同じ土佐藩出身の偉人・坂本龍馬は河田小龍とも接点があったため、万次郎の冒険譚を見聞きしたことが、その後の龍馬の思想や行動に大きく影響したと言われています※1。

※1 フィクション作品では万次郎と龍馬が直接、交流するシーンもしばしば描かれますが、実はそのことを裏付ける史料は(今のところ)ありません。同じ時代を生き、同じ時期に長崎に滞在していた二人なので、もしも言葉を交わしていたら――と考えるだけでも楽しいですね。


帰国後の大活躍

土佐藩で藩校の教授を務めた万次郎は、1853年、ペリー来航の年に江戸幕府に招聘されて直参の旗本となりました。苗字を許され、生まれ故郷の地名を取って中浜姓を名乗り始めます。英語力のみならずアメリカで得た様々な知識と経験を評価された万次郎は、江川英達(坦庵)の部下となり、翻訳、通訳、造船の指揮、航海術の指導など、多岐にわたって精力的に活動しました。スパイの嫌疑をかけられてペリーの通訳から外されるなど困難もありましたが、日米和親条約の締結に尽力したと言います。この時期には本邦初の英会話入門書「英米対話捷径」を執筆したり、ボーディッチの著書「新アメリカ実用航海術」を翻訳したりと、多方面で活躍しました。

また、1860年には勝海舟が船長を務める咸臨丸に乗って、日米修好通商条約の批准書交換のために訪米しています。幕末から明治初期には、土佐、長崎、薩摩、江戸、そして海外を行き来する忙しい生活を送っていたようです。開成学校(現在の東京大学)の英語教授を務めていた時期もあるとか。万次郎の才能とタフさには驚嘆するばかりです。


その後の万次郎

1871年(明治4年)、44歳のときに脳の病気を発症し、71歳で生涯を終えるまで、教育者として穏やかに暮らしていたという万次郎。幼少期に字の読み書きを学ぶ機会のなかった彼は、「読む・書く」スキルよりも「聞く・話す」スキルをもって、アメリカでの生活の中で英語を習得していったと言われています。そのため、西洋の知識を体系的に取り入れる学問へと変わっていった明治以降は、万次郎が活躍する場も少なくなっていったという見方もあるようです。
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<足摺岬エリアの見どころのひとつ「白山洞門」。向こうに見えるのは太平洋です>


後世での評価

さて、高知県民としては幕末の偉人として欠かせない存在の万次郎ですが…世間一般としては、残念ながらあまり知名度が高い人物ではありません。一方、日本での認識とは異なり、アメリカでは2010年に彼を取り上げた小説「Heart of a Samurai」(Margi Preus著)※2がベストセラーになったこともあり、John Mungは、幾度もの試練に立ち向かい、米国と日本の架け橋となった偉大な日本人として広く知られているそうです。

※2 訳著「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」(金原瑞人訳)


高知を旅するなら

翻訳にゆかりのある偉人たち、と題しつつ半分は高知県の紹介になってしまいましたが、いかがだったでしょうか。(足摺岬で撮ったはずのジョン万次郎像の写真は見事な逆光でボツとなりましたが)今回、改めてジョン万次郎のことを調べてみて、自分の知らないことが沢山あり驚きました。高知を旅する機会があれば、ぜひ足摺岬まで足を運んでみてください。高知空港から車で約3時間。広大な太平洋を眼前に、幕末の志士たちに思いを馳せながらドライブするのがオススメです。


参考文献

ジョン万次郎資料館
ジョン万次郎 - ジョン万次郎の生涯 - 土佐清水市ホームページ
ジョン万次郎 - Wikipedia




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