「女ことば」は翻訳から生まれる?――翻訳と言葉づかいの意外な関係
「~わよ」「~だわ」「~わね」といった語尾の「女ことば」は映画の吹き替え、小説やインタビュー記事などの翻訳では使われることがありますが、実際にそのような言葉が使われているのを耳にすることは皆無に等しいのではないでしょうか。
「女ことば」だけではなく、「~さ」「~だぜ」といった「男ことば」、「~ごぜえます」「~ですだ」といった方言風の言葉づかいも実際に使われることはほとんどないにもかかわらず、目にすることがあるのではないかと思います(「方言」は特に一昔前の翻訳小説で使われている印象ですね)。
この記事では、このような言葉づかいと翻訳のかかわりについて考えてみたいと思います。
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翻訳で女ことばが使われる理由
翻訳作品では、実際には使われることがきわめて少ない「女ことば」が見られることが少なくありません。
「わたしたち、ずいぶん長いあいだ、ここでお待ちしていましたのよ」そしてイーヴは訴えるように、「お話ししたいことがありますの。五分だけ、時間を割いていただけません?」
(ディクスン・カー『妖魔の森の家』東京創元社)
なぜ実際にはほとんど使われていない「女ことば」が翻訳作品では使われているのでしょうか。『翻訳が作る日本語 ヒロインは「女ことば」を話し続ける』(中村桃子著)では、その理由のひとつとして「ステレオタイプの経済性」が挙げられています。「ステレオタイプの経済性」とは、「典型的な言葉づかいを使わせることで、登場人物の描写を簡単にする」ことであり、以下のように説明されています。
ある登場人物に、特定の集団や人物に典型的だと考えられている言葉づかいや行動をさせることで、詳しい説明をせずにその人物を効率的に(高い経済性)で描き出すことができる
このように、ある特定の属性を持った人物を想起させることができるような言葉づかいのことを役割語と言います。「わしは~じゃ」という言葉づかいであれば、一般的に老人(男性)を思い浮かべるのではないでしょうか。これも役割語の一種です。
つまり、登場人物に「女ことば」を使わせればその人物像を簡単に示すことができる、それが理由で「女ことば」が使われていると言えます。
黒人奴隷は東北弁を話す?
上記のとおり、女性の登場人物には通常使用されない「女ことば」が使われますが、黒人奴隷には方言(のような言葉)が使用されることがあります。
「そのときでせえ、誰も邪魔しねえでしたよ」使いの黒人は言った。「あっという間でやしたし、誰もこの人を知らねえ、どこの誰で何しに来たかまるで分らねえでした。(後略)」
(フォークナー『八月の光』新潮社)
『「自分らしさ」と日本語』(中村桃子著)によると、これらの言葉は東北弁の特徴がみられるものの、実際の東北弁とは異なる「疑似東北弁」とでも呼べるような言葉づかいであるとのことです。
言葉づかいが日本語・社会・文化に与える影響
このような言葉づかいが日本語、さらには日本の社会や文化にどのような影響を与えたかを見ていきましょう。前掲の『「自分らしさ」と日本語』によると、「だわ」「のよ」といった語尾の「女ことば」は、もともと明治時代の女学生の話し言葉だったとのことです。当時は「正しい日本語」ではないと非難されていたのですが、戦後に起源を捏造されて「山の手の中流以上の良家のお嬢様の言葉」として広められました。これが「ひかえめ、丁寧、柔らかい」などのいわゆる伝統的な「女らしさ」と結びつき、「女であれば女ことばを使うはずだ」といった「女らしさの押しつけ」につながったと指摘されています。
また、黒人奴隷のセリフが疑似東北弁で訳されることで、黒人奴隷と東北弁話者のイメージがつながり、前者が使用する英語の南部方言と後者が話す日本語の東北方言に、「教養のない田舎者が話すことば」というステレオタイプが与えられているとも指摘されています。
役割語には利便性がある一方で、このようにステレオタイプや差別を強化するという問題があると言えます。
ではどのように訳すのか
このような点を踏まえ、翻訳者はどのような点に気を付けて翻訳を行ったらよいでしょうか。文芸翻訳者の越前敏弥さんは「だわ」、「さ」といった語尾を使用しなくても、翻訳の工夫で話者が判別できるようにしたいと考えていると言います。ただし、映像媒体と異なり、文字媒体は情報が限定されるため、「女ことば」などをまったく使用しないと誰が話しているかわかりにくくなったり、生きたセリフにならなかったりする可能性があります。そのため、このような言葉づかいを最低限は使わざるを得ず、「必要悪」だと考えているとのことです(『朝日新聞』2021年11月13日)。
映画字幕翻訳者の太田直子さんも、原文に「男ことば」「女ことば」のような区別がないのに翻訳者が「色づけ」してしまうのはいかがなものかと思う一方、「色なし」の翻訳では硬い直訳調になってしまうと述べています。そのため、字幕ではその人物に見合った自然なしゃべり方をさせたいが、その加減が難しいとのことです。
ステレオタイプを強化せず、しかし「キャラ」を際立たせるような翻訳にするのはとても大変なことではあり、絶対的な正解はないのでしょう。ですが、そこは翻訳者の腕の見せどころ、とも言えるのかもしれませんね。
参考文献
中村桃子『翻訳が作る日本語 ヒロインは「女ことば」を話し続ける』(白澤社)
中村桃子『「自分らしさ」と日本語』(筑摩書房)
金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)
「女言葉だわ 男言葉だぜ」、朝日新聞、2021年11月13日、朝刊
太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社)
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