ITシステムの操作マニュアルを翻訳する
人事評価システムや財務会計システム、データ分析ツールや顧客管理アプリケーションなど、現代の企業では多くのITシステムを使用しています。こうした企業向けシステムの中には海外メーカーが開発して日本向けにローカライズしているものも多く、翻訳会社ではこのようなシステムの操作マニュアルの翻訳案件をお受けすることがあります。
システムの扱う業務分野はさまざまですが、操作マニュアル(「ガイド」や「ヘルプ」などとも呼ばれます)の翻訳全般に共通するポイントがあります。本記事では、そのポイントの1つとして、操作マニュアルの翻訳に欠かせない3つの資料についてご紹介します。なお、本記事では、英語から日本語への翻訳を想定してご説明します。
システムの操作マニュアルの翻訳に欠かせない3つの資料とは、スタイルガイド、用語集、そしてUIの対訳集です。
スタイルガイド:文書で使用する表記と表現を統一
企業向けのITシステムの操作方法をまとめたマニュアルは多くの場合、一貫した構成を持ちます。例えば、業務の種類や工程に沿って章立てされ、各章の中でさらに画面や機能ごとにセクションが分けられて、セクションには細分化されたアクションごとの文書が含まれます。この個々の文書にも、まず機能やUIの定義や用途が示され、次に操作手順の詳細な説明があり、データの分析のように結果を伴うプロセスであれば手順の結果が示される、というように一定の流れがあります。
その上で、ヒントや注記であったり、機能を扱うための権限や前提条件の説明であったり、参照資料へのリンクの一覧であったりが加わることもあります。もちろんシステムの内容によってマニュアルの構成はさまざまですが、マニュアルの性質上、マニュアル内の構成は一貫していることがほとんどです。
構成に秩序があるため、おのずと類似の表現や形式が繰り返し使用されることになります。原文の構成が一貫し、似た表現が反復されるということは、日本語訳の訳調や表記が揺れてしまうと非常に目立ち、読みやすさが損なわれるということでもあります。全体で表現を統一するために、スタイルを明確に定める必要があります。そのため、スタイルガイドが不可欠となります。
スタイルガイドは一般に、送り仮名やカタカナの音引き、使用できる文字や記号、半角と全角の使い分けといった文字表記に関するガイドラインと、訳調(常体、敬体)のような表現に関する基本ルールをまとめたものですが、文章の内容に応じてより細かい項目を定義することもできます。
例えば、操作マニュアルの翻訳では、以下のような項目を追加で定義することが考えられます。
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あまり細かく規定しすぎるのも煩雑になる可能性がありますが、案件の規模に応じて、複数の表現が考えられそうな個所をあらかじめルール化しておくことは、品質の維持につながります。
用語集:頻出用語を統一しつつ理解を促進
次に、システムには繰り返し使用される用語があるため、一貫性のある翻訳をするためにはこれらの用語とその訳語をまとめた用語集が不可欠です。一般に「用語集」というと、用語とその定義をまとめたものですが、翻訳においては、用語とその訳語をまとめた対訳用語集が重要となります。
システム自体がローカライズされていない場合や、操作マニュアルを初めて翻訳する場合などは、訳語を含む用語集が存在しない場合もあります。その場合はまず頻出の用語を抽出して定義し、翻訳して、用語集を作成してから操作マニュアルの翻訳に移る場合もあります。(納期が短い場合などは、用語集の作成とマニュアルの翻訳が並行して行われることもあります。また、マニュアルを翻訳する中で訳語の確定が必要な用語をリストアップし、用語集に追加していくこともあります。)この用語集と上述のスタイルガイドは、操作マニュアルだけでなく、システムのUIを翻訳する上でも基本となる資料です。
ただ、翻訳では用語の訳語が重要ではありますが、用語の定義ももちろん非常に重要です。用語と対訳だけをまとめた用語集では、翻訳を進めていく中で、定められた訳語が文脈に即しているのか迷う場合があります。複数人で翻訳を行っていると、この判断の揺れが最終的な訳文での用語の揺れにつながってしまいます。また、定義文を含む用語集は、システムそのものの理解に大きく役立ちます。そのため、定義文を含む対訳用語集を用意できることが理想的といえます。
さらに、用語集の項目として考えられるものには、以下があります。
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スタイルガイドと同様、あまり多くの情報を含めすぎるとかえって混乱してしまう場合もあるため、翻訳会社側で用語集を作成したり管理したりする際には、案件の状況や規模と入手可能な情報に応じて用語集に掲載する項目を検討しています。
UI対訳集:実際の画面との整合性を担保
そして、システムマニュアルの翻訳で非常に重要となるのが、UI対訳集です。システムの画面を使った操作を説明する上で、画面タイトルや入力欄のラベル、ボタン名といったUIは必ず言及されます。システム自体が既にローカライズされている場合は、マニュアルの読者を混乱させないために、実際のシステム画面上のテキストとマニュアルで引用されるテキストが一致している必要があります。
一方で、翻訳の担当者が実際のシステムにアクセスできることは非常にまれです。また、アクセスできたとしても、権限やデータの不足などさまざまな制約があり、言及されているUIにたどり着けないこともあります。さらに言えば、たとえ目的の画面の参照が可能であったとしても、システムを操作しながら翻訳を進めるのは時間がかかりすぎる場合もあります。こうした背景から、UIがどのように翻訳されているのかをまとめた対訳集が必要となります。マニュアルを翻訳する際、UIを訳す場合は、用語集ではなくまずこのUIの対訳集を検索し、一致した訳を使用することになります。
UIの対訳集には、用語集のような定義文(意味の説明)は不要ですが、同じ原文が複数の画面で異なった訳語で使用されている場合もあるため、どのような画面に出てくるのか、どのような分野のUIなのかといった文脈の情報はあったほうが望ましいといえます。訳語の情報だけでは、正しいUIを特定できない場合があります。(そのため、UIとの整合性が非常に重要となる案件では、前述したように時間はかかるものの、システムを実際に操作してUIを確認しながら訳すことを求められるケースもあります。)
さて、このUI対訳集について、あらかじめ想定しておくべき事態があります。それは、「対訳集を検索しても、UIが見つからない」という状況です。理由はいくつか考えられます。例えば、原文が間違っている、対訳集とは関係のない別の製品のUIである(パソコンのOSの用語などが考えられます)、対訳集にUIが網羅されていない、ローカライズされていないか現在ローカライズ中のUIである、などです。見つからない原因はさておき、UIの対訳は「正解」のあるものですから(「翻訳されていないUIである」という正解も含めて)、勝手に訳語を作り出すわけにはいきません。適切な対応についてお客様に確認することになります。
ただ、確認している間も翻訳はストップできない場合が多いので、暫定の対応を取ることになります。例えば、英語のまま残しておく、仮訳を付ける、などです。UI対訳集を翻訳資料として配布する場合は、UIが見つからない場合のこうした対処法も明示しておくと、翻訳を依頼する側も翻訳を受ける側も時間のロスを防ぐことができます。同時に、UIの対訳集を受け取る側では、万が一UIが見つからない場合はどのようにするかについて確認を取っておくと、後からの確認事項を減らすことができます。
おわりに
いかがでしょうか。ここまで、システムの操作マニュアルを翻訳する場合に欠かせない資料について見て来ました。
場合によってはこのほかに、旧版や、システムのスクリーンショットなどの資料が加わります。こうした資料があると、翻訳の効率や実際のシステムとの整合性の向上につながりますが、やはり、基本となるのはスタイルガイド、用語集、UI対訳集の3点ではないかと思います。また、多くの場合は翻訳メモリを利用して表現の統一を図ります。
ちなみに、これよりもさらに大前提となる資料として、「原典」というものがあります。原典とは、翻訳を行うもともとの文書のことです。翻訳対象そのものであるため「資料」というのも不思議な感じがするかもしれませんが、現在は多様な翻訳ツールやコンテンツ管理ツールがあり、テキストのみをツールに抽出して翻訳することも多いため、翻訳する際に実際の文書のレイアウトがわからないことも多々あります。そのような際には、原典を確認しながら翻訳を進める必要があります。また、スタイルガイドで細かいスタイルを定める際にも、原典で全体の構成を確認できるかどうかで、事前に定められる項目が大きく変わってきます。そのため、お客様には、品質を維持するために原典のご提供をお願いするようにしています。
翻訳の規模が大掛かりになればなるほど、翻訳の統一を図ることは困難となります。あらかじめ起こりうる事態を想定しておき、先手を打つ必要があります。システムの操作マニュアルの翻訳をご検討されているお客様は、ぜひ、品質を維持するための資料の整備にご協力をいただければと思います。また、操作マニュアルの翻訳にご興味をお持ちの翻訳者様には、本記事を通じて、翻訳会社での工程や品質保証の取り組みが少しでも身近に感じていただければ幸いです。
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