「なぜか読みにくい」訳文の正体②
命なきモノ
「なぜか読みにくい」訳文の正体②
命なきモノ
翻訳された日本語が、どこか読みにくいと感じたことはないでしょうか。意味が間違っているわけではないし、訳し漏れもないし、専門用語も正しく使われている。なのに読みにくい!表現が不自然!こなれていない!
このような訳文は、なぜ生まれてしまうのでしょうか。どうすれば自然な日本語になるのでしょうか。本連載では、「なぜか読みにくい」訳文の正体を突き止めるとともに、不自然さを解消する手段を考えていきます。(前回の記事はこちらからお読みいただけます)
さて、今回のテーマは「命なきモノ」です。何を物騒な・・・と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう話ではありません。人でも動物でもない、石や水といった「無生物」のことです。英語だと、こういう無生物を主語にする表現がよくあるのですが、それを日本語に直訳すると、無生物があたかも意思を持って行動しているかのような文になってしまい、とても違和感があります。ちなみに、無生物どころか物体ですらない「行為」が主語になることも。
これらは「無生物主語構文」と呼ばれるものです。高校の英語の授業で習った方もいると思います。
たとえば、「絵の勉強をしたくてフランスに留学しました」とは言いますが、「絵を勉強したいという気持ちが私をフランスに行かせました」という言い方はしませんよね。同じように、「この道から駅に行けるよ」とは言っても、「この道があなたを駅に連れて行く」とは言いません。
「でも、高校で習うくらいなんだから、プロの翻訳者はそんな訳し方しないでしょ」ですって?ええ、もちろん!・・・と言いたいところですが、残念ながらそうとも言い切れないのです。長年の経験がある人でも、無生物主語構文を英語の構造のまま訳してしまうケースはあります。
具体例を見ていきましょう。
MS データの定量分析は、ペプチド NTAYLQMNSLR の各種の相対的な量を明らかにします。 |
なにやら難解な・・・。これは計測機器の販促資料に出てくる一文です。そもそもNTAYLQMNSLRとか、見慣れない単語があってよくわからない文ですが、主語(主部)は「MS データの定量分析は」ですね。定量分析とは、サンプル中の成分の量を測定する分析だそうです。つまり、意思のある生物ではありません。無生物を主語にしているのが、この文の違和感の正体です。
では、この命なき主語をどうするかと言うと・・・
MS データの定量分析により、各種ペプチド NTAYLQMNSLR の相対的な量を測定できます。 |
最初の文よりは分かりやすくなった気がします。
「定量分析は~の量を明らかにする」ということは、定量分析は量を明らかにするための「手段」と言えるのではないでしょうか。そこで、「~により」という形にすることで、定量分析を動作の主体(=主語)ではなく、手段にしてみました。
続いて別の例を見ていきます。今度は、中小企業や個人事業主を対象読者として、マーケティングにITの活用を勧めるハウツー記事です。
成功するデジタルマーケティングは人々をあなたのウェブサイトに誘導する |
まあ、言いたいことはわかる・・・ような??しかし、これでは日本語としてあまりにも不自然。「マーケティング」がまるで生き物のように意思を持って「誘導する」だなんて。
さて、前の例文では、主語にあたる部分を「手段」を表す表現に変えましたが、今回はそれではうまくいかないかもしれません。確かに「デジタルマーケティング」は「誘導」の手段になりそうですが、「成功」という言葉があります。おそらく、「成功する」デジタルマーケティングでなければ、誘導できないのでしょう。
・・・今、突破口が見えたような気がします。「成功するデジタルマーケティング」は、ウェブサイトへの誘導の「条件」ではないでしょうか。それを念頭に置いて文を組み立ててみます。
デジタルマーケティングが成功すれば、自社のウェブサイトに顧客を呼び込める |
すっきりしましたね!
元の訳の違和感は、デジタルマーケティングという命なきモノが、自らの意思で人を誘導しているような書き方から来ていました。誘導という動作の主体から、「条件」に書き換えることで、前よりも自然に響く日本語になったように思えます。
「無生物主語構文」は、Wikipediaで次のように定義されています。
英語の無生物主語構文あるいは物主構文とは、無生物が主語である構文のうち、英語では自然だが、それに直訳的に対応する日本語の表現が不自然になるものを指す。 |
無生物は絶対に主語にしてはいけない、というわけではないようですね。
今回紹介したのは、本来は「手段」や「条件」として訳すべきものが、主語として訳されていた例でした。他にも、「時間」や「理由」などが(英語では)主語になるケースがあります。このような命なき主語の真の姿を見極め、ふさわしい形にしてあげることで、「なぜか読みにくい」日本語訳を減らせるはずです。